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2010年2月 4日 (木)

/沢木耕太郎/

アルパイン・スタイルという、ソロを含め少人数でパーティを組み、できるだけ少ない装備で短い時間で素早く登って降りてくる方法で、到達できる高さよりも美しいラインを描いて登ることを目的とするクライマー、山野井夫妻の物語である。
2008年の作品。
今から約一年前、店頭で手に取った『深夜特急』に夢中になり、次々と沢木の著書を読み漁った。
その多くが『酒』『スポーツ』『旅』に関するものであった中、『登山』をテーマとしているこの本は、ひと際異彩を放っていた。

『小説』のジャンルに入れようかとも思ったが、本人へのインタビューも含め丹念に資料をあたり、事実を積み上げてストーリーに仕立てていった手法を取っているので、『ルポ・旅行記』のジャンルにした。
ちなみに講談社ノンフィクション賞を受賞している。

山の美しさや厳しさといった魅力もよく描かれているが、特にこの本で素晴らしいのは、山野井夫妻の人間としての魅力である。

まず生活の100%登山に捧げているストイックな暮らしぶりに息をのむ。
奥多摩の人里離れた家に家賃25,000円で住み、実家から送ってもらった米をカマドで炊き、山菜や自家菜園で採れた野菜を主に食べ、ほとんど金を使わない。
トレーニングのための貴重な時間をアルバイトなどで無駄に使いたくないからだ。

山登りに対する情熱と、頑ななまでに自分のスタイルを貫き通す強情さ、そしてこれまでの経験で培ってきた冷静な判断にも感銘を受けた。

そして何といってもすごいと思ったのは、夫婦がお互いに信頼しあい、支えあっている姿である。
2人の間にあるものは、単に愛情というだけではない。
ほとんどお互いの一部になり合っている。
それでいてお互いに足りない部分を補い合っている。
そして山では一瞬の出来事が遭難につながる危険が付きまとっているのだが、たとえ1人になってしまってもいつでも相手を身近に感じて不自由はしないと感じさせる潔さがある。

私は、2人の絆は、お互いを自分の手足のように感じているようなものだと思った。
手足はあまりに身近で普段は有難味すら感じないが、個人にとってなくてはならないものである。
山野井夫妻の価値観では、山の事故でその大切な手足の一部、たとえば指などを失うことは、やむを得ずに起こってしまう、仕方のないことなのである。
経験と知恵を使ってできる限り避けようとはするが、運の悪いことがあればいつかは失う可能性もある、と達観している。
そしてそれは、お互いの存在も同じなのである。
失う可能性は認めるが、だからといって登山をやめることはできない。
彼らにとって、登山をやめることは、生きることをやめてしまうのと同じことなのだ。
どんな状況でも助け合って、果敢に山に向かってアタックを続ける2人の姿がまぶしい。

今の日本に、こんなにシンプルな生活を送り、やりたいことを信じて生きている人がいる、ということを紹介してくれただけでも、沢木耕太郎の功績は大きい。

この本の最後の方に、登山経験のまったくない年配の男を連れて、山野井がヒマラヤを訪れる場面が出てくる。
最初はちょっとわからないが、この男の正体が何となくわかってくる。
ちょっと遊び心の入ったこのシーンも、私は好きである。



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ありがとうございました!

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