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2010年2月13日 (土)

ヘリオット先生奮戦記

/ジェイムズ・ヘリオット/

著者名はペン・ネームだが、実在の獣医による体験談を小説にしたものだ。
1916年にスコットランドのグラスゴーに生まれ育ってそこの獣医大学を卒業し、獣医助手を募集する広告を見て、1937年にノースヨークシャーの山間部にやってきた。

短気だけれど人のよい獣医、シーグフリード・ファーノン先生と、その弟で頭がよいのに怠け者のトリスタンと『私』の3人の、珍妙な暮しが始まる。
頑固だけれど優しい村の人たち、個性に満ちた動物たち、そしてイギリスの田舎の美しい自然に囲まれて。

獣医の仕事を始めるとすぐ、大学の教科書にはまったく書かれていなかった汚れ仕事、不測の事態、厳しい自然に直面して、『私』の心に後悔がよぎる。
しかし動物や村人たちとの心の交流や往診の行き帰りの自然の豊かさに触れて、『私』は次第にその仕事の素晴らしさに目覚めてゆく。

ひとつひとつのエピソードが、ユーモアと愛情に満ちた筆運びに彩られている。
この本は、電車の中などでは読まない方がいいかもしれない。
読んでいて、思わずくすくす笑ったり、吹き出してしまう危険がある。
私は寝る前の楽しみに、少しずつ読むのが好きだ。

この巻では、仕事に就いてからヘレンと結婚するまでの約2年間が語られている。

大戦前、まだ抗生物質などの薬もほとんどなく、処方するとしても注射ではなく食べ物にまぜて動物に与えていた時代、村人も獣医も素朴でのんびりしていた頃のことである。
治療の対象となる動物は主に農場の牛や馬で、村人にとってとても大切な存在である。
また犬はペットもいるが、家族の一員として仕事をこなしているものも少なくない。
薬品に頼れないので、ほとんどの治療にとって重要なことは、経験と注意深い観察、そして忍耐強い看護であった。

一つひとつの事件が興味深いだけでなく、小さな架空の村ダロウビーのすべての生きとしいけるもの、村人にも動物にも等しく注ぐ、著者の愛情と理解、そして仕事に対する深い喜びが、この本を価値あるものにしている。

『 かくして、私はやっと帰途についた。泥道を運転して、丘を登りきったところで、車を降りて道の通用門を開けなければならなかった。風が、霜のおりた草の冷え冷えとしたさわやかなにおいを運んでくると、さあっと私の顔を吹き過ぎた。私は、暗い野原を見渡し、もう夜明けだなと思いながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。学校時代の思い出が甦り、ある年老いた教師が獣医という職業について、教室で私たち学生に話したことを思い出した。彼はこう言っていた―
―「諸君が獣医になる覚悟なら言っとくが、絶対に金持ちにはなれないぞ、しかしだな、無限の興味と変化に富んだ生活が待ち受けている」
 私は、暗闇で声を出して笑い、車の中に入っても、まだくすくす笑っていた。あの教師は確かに冗談を言ったわけではないのだ。変化に富む生活。まさにそれこそわが生活であった―
―変化に富む生活。』

獣医をしながら体験したさまざまなエピソードが、一つひとつは短い、沢山のエピソードで綴られている。
どこから読んでもおもしろいが、『私』が少しずつ村の生活に慣れ、ファーノン先生やトリスタンの人柄が明らかになり、ヘレンと親しくなっていく過程は、順番に読んでこそ味わえる醍醐味だ。

著者は、仕事で起きる珍事件や面白い依頼人について毎日夕食で語り、いつか本にしたいと妻に言い続けてきたそうだ。
とうとう54歳になった1970年に、最初の本が出版された。
発行部数も少なく、タイトルも地味だったが、著者の娘のアイデアで、讃美歌の一文をとって原題がつけられ、アメリカで大いに評判になった。

その後すぐに、『ヘリオット先生の動物家族』(All things Bright and Beautiful)、『Dr.ヘリオットのおかしな体験』(All things Wise and Wonderful)を出版し、他にも『犬物語』や『猫物語』『毎日が奇跡』『ドクター・ヘリオットの生きものたちよ』などがある。
また息子による『ドクター・ヘリオットの素晴らしい人生 上・下』も邦訳されていて、もしヘリオット先生を気にいったのならば、この後もこのたっぷり楽しめる。

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原題は、All Creatures Great and Small

原文は獣医の専門用語やヨークシャーの方言が多く、けっこう難しいです。





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コメント

 動物好きの一人として気を惹かれながらも、結局買わずじまいで終わった本。
 ふ~ん、こんなに楽しい本だったのか、と慚愧の念を起こさせる備忘録です。
 動物文学や動物行動学(エソロジー)にはかねてから興味津々なので、本書、ブックオフあたりで見かけたら購入したいですね。
 

投稿: 風紋 | 2010年2月14日 (日) 01時06分

長文におつきあいいただき、ありがとうございました。
獣医もの(文学にそういうジャンルがあるとすれば)の中では東西を通じて第一にお薦めの本です。
(実は学生の頃、獣医志望でした。)
動物行動学では『ソロモンの指環』が素晴らしいです。

投稿: 趣味の本屋 | 2010年2月14日 (日) 01時59分

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