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2011年1月29日 (土)

An Echo in the Bone 骨の中のこだま23 ウィリアムの手紙2

またまた、お久しぶりでした!
こんなぐずブログですが、こまめなチェック、励ましのクリック、どうもありがとうございます。
ウィリアムが、養父ジョン・グレイに宛てて書いた手紙の続きです。


でも、僕は笑いすぎてはいけないのです。
アーノルド大佐のことを知れば知るほど(ここケベックでは、彼についてものすごくいろいる聞くのです)、彼は気骨のある紳士に違いないと感じ、おじいちゃんのサー・ジョージがいつも言っているように、『いつか僕は彼に会わなけりゃ』と思うのです。

外では、賛美歌を歌っています。
住人達が、近くの大聖堂に集まってきているのです。
メロディーは僕の知らないものですし、歌詞を聞き分けるには遠すぎますが、この高みから、松明の輝きを見ることができます。
鐘の音が、10時だと告げています。

(尼僧院長は、ある意味あなたを知っているのだと、言っていました。
 シスター・イマキュラータというのが彼女の名前です。
 彼女があなたの知り合いだと知っても、私はほとんど驚きませんでした。
 そして彼女に、あなたがカンタベリー大司教やローマ法王の知り合いでもある、と話したところ、次に法王にあったら、彼女からも謹んでごあいさつ申し上げていると伝えてくれと頼んでいました。
 彼女は私を夕食に招待してくれ、1759年にケベックを占領した時の話をしてくれました。
あなたが尼僧院に、たくさんのハイランダー達を宿営させたときの話です。
 兵士たちのむき出しの足に、どんなに尼僧たちが驚いたか、兵士たちにズボンを作るため、帆布をどうやって調達したのか、といったことです。 
 私自身のズボンといえば、ここ数週間にわたる移動で著しく傷んではいましたが、なんとか腰から下は覆われていたと、安心して言えます。
 間違いなく、尼僧院長も、ほっとしていたに違いありません!)

 
ウィリアムが手紙を書いているのは1776年なので、ジョン・グレイ達がケベックを占領した1759年は、17年前ということになります。
ケベック知事のサー・ガイ・カールトンは、1775年5月に反乱が始まったという報せを受け取り、その後間もなく反乱軍(アメリカ軍)にダイコンデロンガ砦
とクラウンポイント砦が奪われ、サンジャン砦が襲撃を受けたと知らされたのです。
それらの砦を奪い返すためにアメリカ軍のアーノルド大佐と戦うサー・ガイに対し、イギリス軍側の立場から接触するために、ウィリアムはカナダへやってきたのです。


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では、戦闘の報告に戻りましょう。
サー・ガイの船団は、クラウン・ポイントとティコンデロンガへ到着して、そこを奪還するつもりで、南下していきました。

Ticonderonga

 しかし、彼らがヴァルカー島を通り過ぎようとした時、アーノルド大佐(そうそう、ここに隠れていたのでしたっけね)の船が2隻飛び出してきて、砲撃してきました。
 その後2隻は退却しようとしましたが、1隻(『忠実な無法者』という名でした)が向かい風にあおられて座礁してしまいました。
 英国海軍のボートがそれに群がり、何人かを捕虜にしましたが、その後アメリカ軍からの攻撃が激しすぎるため、退却せざるを得ませんでした。もちろんその際に、『忠実な無法者』に放火したのは言うまでもありません。)

 初めは戦術的に移動しているだけでしたが、海峡で戦闘が始まったのは昼頃でした。
『カールトン』と『インフレクサブル』が砲艦とともに矢面に立って攻撃をし、アーノルド軍の『リベンジ』と『フィラデルフィア』は側面を撃たれ、夕方近くに『フィラデルフィア』は沈没しました。
『カールトン』は攻撃を続けましたが、アメリカ軍の放った弾がたまたま錨をつなぐ紐を貫通したので漂い始め、激しく攻撃されて多くの兵士が殺されたり、怪我をしてしまいました。
死傷者の中には、『カールトン』の船長、ジェームス・ダクレス大尉も含まれていました。(私は彼に前のシーズンのダンスパーティで会ったことがあり、複雑な気持ちでした)。また副船長もやられたので、下士官の一人が指揮をとって安全圏へ脱出しました。
その指揮をとったのは、エドワード・ペローだという噂で、私も彼に、ハリー叔父といっしょにボードレスで1、2度会ったことがあります。

 まとめましょう。別の偶然の一撃が砲艦の弾倉を直撃し、砲艦は爆発しました。ちょうどその時、『インフレクサブル』がとうとう暴れ始め、アメリカ軍をその重い銃でなぎ倒しました。サー・ガイの小さい船は、ヴァルカー島や湖の岸辺に上陸し退路を断ったので、サー・アーノルドの軍の生き残りは、湖に戻らざるを得なくなりました。

 アメリカ軍は、夜に霧が出たので、サー・ガイのそばをすり抜けることには成功しました。
そして数マイル南のシュイラー島に避難しました。
 サー・ガイの艦隊はそれを追い、翌日には視界に入りました。
サー・アーノルドの船は、水漏れ、攻撃による損傷と、強い雨と風になった天候に悩まされました。
 『ワシントン』が捕まって攻撃を受け、旗を引きずり降ろされ、100人以上の乗組員が捕虜になりました。
 サー・アーノルド軍の残りの船は、何とかバトンモルド湾までたどり着きました。
そこは、私の知る限り、サー・ガイの船には水深が浅すぎるのです。

 サー・アーノルドはそこに上陸し、ほとんどの船から装備をはぎ取って、火をつけました。旗をはためかせたままです。それは、反抗の印を意味すると、ドイツ人は言っていました。彼らは、これを見て驚き、憧れたのです。

 アーノルド大佐(いまやアーノルド提督と呼ぶべきか?)は、自分の司令船であった『コングレス』に、自ら火を放ち、さらに『オーバーランド』に点火し、彼を邪魔しようとしたインディアン達の手を、僅差で逃れたのです。
 彼の隊はクラウン・ポイントに到着しましたが、そこには居残らず、タイコンデロンガに退却する前に立ち寄って、砦を破壊してしまいました。

 一方サー・ガイは、捕虜をケベックまで行進させたりせず、休戦の白旗を持たせてタイコンデロンガに帰らせました。
 これはとても巧みな儀礼的手法だと、私の情報提供者がとても高く評価していました。

 今は10時30分です。
あなたは、ここにいらした時、オーロラを見ましたか?
それとも、1年のうちで見るには早すぎる時期だったのでしょうか?
それは素晴らしい景色です。
雪が一日中降っていましたが、日の入り頃に止み、空が澄み渡りました。

 私の部屋の窓からは、北の方向に眺望が開け、今素晴らしい輝きと、淡い青に緑、が空全体を満たしています。そして時々赤い色の波が、まるでインクの滴を水に落としてかき混ぜたかのように広がっていきます。
今は音は聞こえません。というのは、歌声のせいです。
誰かが遠くでバイオリンを弾いています。
その音色は、とても甘く、胸を突き刺すようです。
 でも、私が町の外や森でこの現象(オーロラ)を見たとき、それに伴ってよく変わった音、または音たちが聞こえました。
その音は、時にはかすかな口笛のように聞こえる音だったりします。つまり空気が動いていないのに、建物の周りを吹く風のような音が聞こえるのです。あるいは、奇妙な、甲高い、シューシュー言うような音だったりします。その音はしばしば、枯葉の上をコオロギの群れが行進しているかのようにキチキチ、コロコロいう音で遮られるのです。もちろん、オーロラが見られる頃には、寒さのあまり、すべての昆虫は死んでしまっているのですが。

(昆虫がいなくなって、せいせいしました!僕たちは、地元のインディアンが使っていた膏薬を試してみたのです。それは確かに、刺しバエや蚊には効きましたが、好奇心旺盛なハサミムシ、ゴキブリ、クモといった虫たちを怯ませはしてくれませんでした。)
 

 僕たちは、セント・ジョンからケベックへ行くまでに、ガイドを雇いました。
そのガイドは、混血の男でした(とても目立つ髪型で、まるで羊の毛のように豊かにカールしており、色はシナモンの樹皮のようでした)。
彼が話してくれた地元の住民の民間伝承では、空というものは、地面を空から分けている半球のような形をしていて、オーロラの光は半球に開いた穴から射す、天国の明かりなのだということです。
 その明かりは、死者の魂を導くために、半球の穴から漏れているのだそうです。

 おっと、まだ戦闘の報告が終わっていませんでしたね。
あとは、戦闘の後、サー・ガイはセント・ジョンのある冬季の宿舎に引き上げ、春までケベックに帰ってこないだろうということを付け加えるだけです。

 というわけで、いよいよこの手紙を書いた核心に触れなければなりません。
私は昨日起きて、ランドル・アイザック大尉が簡単なメモを僕に残しただけで、夜のうちにここを出発してしまったことを知ったのです。
メモには、緊急の用事ができた、共に過ごし、価値ある支えを受け、君には感謝している、私が戻ってくるか新しい指令があるまで、君はここに残らなければいけない、と書いてありました。

 雪は深いし、もっと降りそうです。
彼の用事は、どんな距離でも敢えて踏破せざるを得ないほど緊急なものに違いありません。
もちろん僕は、ランドル・アイザック大尉があわてて出て行ったことを気にしていないわけではありません。何でそんなことになったのか好奇心がありますし、うまくいっているのか心配です。
 でも、命令を無視することを正当化できるような事態だとは思わないので・・・待つことにします。

 11時30分になりました。
立って、空を見るために、少し書くのを中断しました。
オーロラの光が現れ、消えていきました。
もうオーロラは、行ってしまったのだと思います。
空は暗く、星々は明るいのですが、もう消えてしまったオーロラの光に比べれば、小さいのです。
空には、街中では見られないような、広大な空虚が広がっています。
鐘のガランガラン鳴る音、広場のかがり火、人々の歌声・・・行列が行進しているのです・・・これらにもかかわらず、僕には大いなる静けさが感じられるのです。

 尼僧たちは、礼拝堂へ入りました。
僕は今、窓から乗り出して、彼女たちが2人ずつ組になって、行進していくかのように急いでいく様子を見ています。
尼僧たちは、黒いガウンと外套のおかげで、まるで星の間をただよう、夜の小さなかけらのように見えます。
彼女たちが手に持っている松明が、その星のように見えます。(僕はもう、ずいぶん長いこと書き続けているのです。だからこの、くたびれた脳みそがつむぎだすファンタジーを、お許しください。)

 これは、僕が家や家族から切り離されて過ごす、最初のクリスマスです。
疑いなく、これから過ごすだろうたくさんの中で、最初だということです。
 パパ、僕はあなたのことをよく考えます。健康で、おばあちゃんと、おじいちゃん、サー・ジョージといっしょに、明日ガチョウを焼くことを楽しみにしているといいな、と思います。
どうか、僕からの愛を彼らにお伝えください。
それから、ハル叔父さんと、そのご家族へも。(特に、僕のドッティーに。)

 そして、特別に素敵なクリスマスを。
 あまたの息子、ウィリアムより

 追伸。午前2時です。
 とうとう、僕は降りて行って、礼拝堂の後ろに立ちました。
礼拝は、ローマ・カトリック的だったし、線香が多すぎましたが、僕は母ギネヴァと、ママ・イゾベルへ、祈りを捧げました。
 僕が礼拝堂から出てきたとき、オーロラの光が戻ってきました。
今度は青色でした。

 ウィリアムは、産みの母ギネヴァと、その妹の育ての母イゾベルを亡くしているのです。
次は、いよいよお待ちかね、ジェイミーとクレアの冒険です。

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