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2011年1月 4日 (火)

An Echo in the Bone 骨の中のこだま22 ウィリアムの手紙

あけましておめでとうございます。
また間をあけてしまいましたが、ぼちぼち続けたいと思います。



1776年12月24日 ケベック市

パパへ

 僕はこれをコンヴェント(修道院)で書いています。
急いだ説明になるけれど、コヴェント・ガーデンの変種などではなく、ウルスラ会の尼僧によって運営されている、本物ののローマカトリックの修道院です。

 ランドル・アイザック大尉と僕が砦に着いたのは、10月下旬のことです。
知事のサー・ガイを訪問し、アメリカ人たちの反乱軍側に附く地元の共鳴者に関する彼の意見を伺いたかったのですが、サー・ガイは反乱軍の暴動を個人的におさめようとサンジャン砦に進軍されたと聞きました。
 これは、ジョージ湖と細い支流でつながったシャンプレーン湖で行われた海戦(と呼ぶべきだろうか?)と発展しました。その辺の地理については、パパも昔ここにいらしたので、おわかりでしょう。

 僕は、サー・ガイの部隊に合流しに行きたかったのですが、ランドル・アイザック大尉はその距離と季節を考えて躊躇なさいました。
実際、大尉の判断が正しかったと証明されました。
というのは翌日、凍りつくような雨が降り始め、まもなく吹きすさぶ雪嵐になり、それは空が暗くなって夜も昼も判断できなくなるほど、厳しいものでした。あたりは数時間のうちに雪と氷に覆われてしまいました。
この大自然の脅威を見て、サー・ガイの部隊に参加する機会を逸した僕の失望も、だいぶ和らぎました。

 実は、どちらにしても僕は遅すぎたのでした。
というのは、交戦はすでに10月1日に始まっていたのです。
僕たちは、11月中旬にリーデゼル男爵の部隊にいたヘッセン(ドイツ)人の将校達が砦に着いてそのニュースを教えてくれるまで、詳細がわかりませんでした。
おそらくパパはその交戦について、この手紙を受け取る前にもう既に、もっと正式で直接記述された報告を受けていることと思います。
だからここでは、正式なバージョンでは削除されているような、いくつかの面白いことを書こうと思います。

率直に言えば今の僕には、そのような問題についての作文をすることくらいしか、することはないのです。なぜなら僕は、今日の真夜中にクリスマスの儀式として催される集会へ誘ってくださった、尼僧院長からの親切なご招待を断ってしまったからです。

(街の教会のベルは、15分に1回鳴って、昼夜を通して時を知らせてくれます。
 修道院の礼拝堂は、私が最上階に宿泊しているゲストハウスの壁のすぐ隣にあり、僕がベッドに入っているとき、鐘は僕の頭からおそらく20フィート(600メートル)くらいの所にあるようです。というわけで僕は自信を持って、ただ今の時刻は午後9時15分である、とお伝えできるのです。)


この章は少し長くなりますが、しばらくお付き合いくださいね。
(また、翻訳の間違いもお許しください。諜報活動関係の英語は、私の苦手な分野なのです。)
その次に、ジェイミーとクレアが出てきて、物語は大きな展開を見せます。

う~ん、そんなに待てないよ!早く書いて!
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では、詳細についてお書きしましょう。

サー・ガイは、昨年からケベック市への侵攻に脅かされていました。といってもこの攻撃は完璧な失敗に終わったのですが。その結果、彼はハドソン川上流の守りをしっかり固める必要がある、と決心しました。なぜならハドソン川上流こそが、もっとやっかいな攻撃がやってきそうな道だったからです。
陸路は、よっぽど覚悟をしているものでなければ使えないくらいほど、厳しい手段でした。
(僕は、ワインを蒸留した液体を、小さい容器に入れて持っています。その中の全長5センチほどもあるメクラアブと、とてもでかいシラミを何匹かを、あなたに見せるためです。これらは、ハチミツの助けを借りて、僕の身体から採集されたものです。ハチミツをたっぷり使って覆うと、これらは足でしっかり掴めなくなるので、はずしやすくなるのです。)

前の冬の侵攻が不成功は終わったときに、(侵攻を企てたアメリカ反乱軍の)アーノルド大佐の部下たちは、サー・ガイが湖沼地帯に入るのを阻止しようと決意し、撤退する途中ですべての船をサンジャン砦で沈めたり、燃やしたりしてしまいました。また、製材所や砦そのものも燃やしました。


ケベックの地図

ウィキペディア:ガイ・カールトン(ケベック植民地知事、イギリス軍北アメリカ総司令官)


リシェール川地図

そのためサー・ガイは、折りたたみ式の船をイギリスから送るように要求し(僕はその船を見たかったなぁ!)、10隻が到着して、リシェリー川上流に集結するのを監督するため、セント・ジョンに向かいました。

一方、アーノルド大佐は(もし僕が聞いたうわさの半分でも本当なら、この男は驚くほど勤勉な男らしい)、彼自身の船団を狂ったように造っていました。その船団は、崩れ落ちそうなガレー船とビームの曲がったスループ船で成り立っていたのです。

サー・ガイの方は、折りたたみ式の船だけでは満足できず、彼もまた不屈の精神を持っていて、180トンのフリゲート艦を分解し、川まで引きずって再び組み立てました。(僕の情報源たちの間で、その船が何丁の銃を運んでいたか、議論が持ち上がりました。→その数は修道院製のクラレット2本目あたりでやっと、『すげえ沢山だったよな』というところで合意が得られました。翻訳上の誤りを見越し、これを最終的な個数としておきましょう。)

(ところで、このクラレットは修道女たちの自家製です。司祭の鼻の色から判断して、クラレットの多くは、修道院内で飲まれているようです。)

アーノルド大佐は、これ以上待っていては主導権を握っている利点を失ってしうまうと判断し、9月30日に、ヴァルカー島の隠れ場所から撃って出てきました。公式の報告によれば、彼が15隻の船を持っていたのに対し、サー・ガイは25隻でした。
アーノルド大佐の方はすべて、突貫工事で造られたもので、航海に適さず、操縦するのはしろうとで、双眼鏡(Binnacle)と足タコ(Bunion)の区別もつかないのです。
やれやれ、アメリカ海軍に栄光あれ!

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