« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

2011年1月29日 (土)

An Echo in the Bone 骨の中のこだま23 ウィリアムの手紙2

またまた、お久しぶりでした!
こんなぐずブログですが、こまめなチェック、励ましのクリック、どうもありがとうございます。
ウィリアムが、養父ジョン・グレイに宛てて書いた手紙の続きです。


でも、僕は笑いすぎてはいけないのです。
アーノルド大佐のことを知れば知るほど(ここケベックでは、彼についてものすごくいろいる聞くのです)、彼は気骨のある紳士に違いないと感じ、おじいちゃんのサー・ジョージがいつも言っているように、『いつか僕は彼に会わなけりゃ』と思うのです。

外では、賛美歌を歌っています。
住人達が、近くの大聖堂に集まってきているのです。
メロディーは僕の知らないものですし、歌詞を聞き分けるには遠すぎますが、この高みから、松明の輝きを見ることができます。
鐘の音が、10時だと告げています。

(尼僧院長は、ある意味あなたを知っているのだと、言っていました。
 シスター・イマキュラータというのが彼女の名前です。
 彼女があなたの知り合いだと知っても、私はほとんど驚きませんでした。
 そして彼女に、あなたがカンタベリー大司教やローマ法王の知り合いでもある、と話したところ、次に法王にあったら、彼女からも謹んでごあいさつ申し上げていると伝えてくれと頼んでいました。
 彼女は私を夕食に招待してくれ、1759年にケベックを占領した時の話をしてくれました。
あなたが尼僧院に、たくさんのハイランダー達を宿営させたときの話です。
 兵士たちのむき出しの足に、どんなに尼僧たちが驚いたか、兵士たちにズボンを作るため、帆布をどうやって調達したのか、といったことです。 
 私自身のズボンといえば、ここ数週間にわたる移動で著しく傷んではいましたが、なんとか腰から下は覆われていたと、安心して言えます。
 間違いなく、尼僧院長も、ほっとしていたに違いありません!)

 
ウィリアムが手紙を書いているのは1776年なので、ジョン・グレイ達がケベックを占領した1759年は、17年前ということになります。
ケベック知事のサー・ガイ・カールトンは、1775年5月に反乱が始まったという報せを受け取り、その後間もなく反乱軍(アメリカ軍)にダイコンデロンガ砦
とクラウンポイント砦が奪われ、サンジャン砦が襲撃を受けたと知らされたのです。
それらの砦を奪い返すためにアメリカ軍のアーノルド大佐と戦うサー・ガイに対し、イギリス軍側の立場から接触するために、ウィリアムはカナダへやってきたのです。


がんばれウィリアム、そして翻訳ブログ、という応援のクリックをお願いします。

にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村

続きを読む "An Echo in the Bone 骨の中のこだま23 ウィリアムの手紙2"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 4日 (火)

An Echo in the Bone 骨の中のこだま22 ウィリアムの手紙

あけましておめでとうございます。
また間をあけてしまいましたが、ぼちぼち続けたいと思います。



1776年12月24日 ケベック市

パパへ

 僕はこれをコンヴェント(修道院)で書いています。
急いだ説明になるけれど、コヴェント・ガーデンの変種などではなく、ウルスラ会の尼僧によって運営されている、本物ののローマカトリックの修道院です。

 ランドル・アイザック大尉と僕が砦に着いたのは、10月下旬のことです。
知事のサー・ガイを訪問し、アメリカ人たちの反乱軍側に附く地元の共鳴者に関する彼の意見を伺いたかったのですが、サー・ガイは反乱軍の暴動を個人的におさめようとサンジャン砦に進軍されたと聞きました。
 これは、ジョージ湖と細い支流でつながったシャンプレーン湖で行われた海戦(と呼ぶべきだろうか?)と発展しました。その辺の地理については、パパも昔ここにいらしたので、おわかりでしょう。

 僕は、サー・ガイの部隊に合流しに行きたかったのですが、ランドル・アイザック大尉はその距離と季節を考えて躊躇なさいました。
実際、大尉の判断が正しかったと証明されました。
というのは翌日、凍りつくような雨が降り始め、まもなく吹きすさぶ雪嵐になり、それは空が暗くなって夜も昼も判断できなくなるほど、厳しいものでした。あたりは数時間のうちに雪と氷に覆われてしまいました。
この大自然の脅威を見て、サー・ガイの部隊に参加する機会を逸した僕の失望も、だいぶ和らぎました。

 実は、どちらにしても僕は遅すぎたのでした。
というのは、交戦はすでに10月1日に始まっていたのです。
僕たちは、11月中旬にリーデゼル男爵の部隊にいたヘッセン(ドイツ)人の将校達が砦に着いてそのニュースを教えてくれるまで、詳細がわかりませんでした。
おそらくパパはその交戦について、この手紙を受け取る前にもう既に、もっと正式で直接記述された報告を受けていることと思います。
だからここでは、正式なバージョンでは削除されているような、いくつかの面白いことを書こうと思います。

率直に言えば今の僕には、そのような問題についての作文をすることくらいしか、することはないのです。なぜなら僕は、今日の真夜中にクリスマスの儀式として催される集会へ誘ってくださった、尼僧院長からの親切なご招待を断ってしまったからです。

(街の教会のベルは、15分に1回鳴って、昼夜を通して時を知らせてくれます。
 修道院の礼拝堂は、私が最上階に宿泊しているゲストハウスの壁のすぐ隣にあり、僕がベッドに入っているとき、鐘は僕の頭からおそらく20フィート(600メートル)くらいの所にあるようです。というわけで僕は自信を持って、ただ今の時刻は午後9時15分である、とお伝えできるのです。)


この章は少し長くなりますが、しばらくお付き合いくださいね。
(また、翻訳の間違いもお許しください。諜報活動関係の英語は、私の苦手な分野なのです。)
その次に、ジェイミーとクレアが出てきて、物語は大きな展開を見せます。

う~ん、そんなに待てないよ!早く書いて!
の方も、そうでもない方も、クリックをお願いします。

にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村

続きを読む "An Echo in the Bone 骨の中のこだま22 ウィリアムの手紙"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »